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2015.01/17(Sat)

故人を偲ぶ 

平成27年1月10日午前3時24分に父、清水健一が死去しました。
皆さんのおかげで無事葬儀も終わり本日から営業することができました。

生前僕の父のイメージは強面で頑固で厳しく厳格なイメージがつきまとう父でした。
僕も若い頃は父と衝突ばかりしていました。
でも晩年は大変仲良しでした、親子で分かりあえることがとっても幸せでした。
それ故に、今父が居ないことは自分の中でのより所が消えてしまった感覚になります。

12月7日に名古屋の八事赤十字病院に入院して28日に「 生きる 」ために手術をしました。
胃と肝臓のガンは癒着をして、大腸にもガンはできました。ガンは手術をしないまま閉じましたが
大腸のバイパスの手術をして延命を選択しました。そこにはきっと・・・残ることになる母のため
今度新たに産まれてくる僕の第3児のため、父の「 生きる 」という強い意志がありました。
手術は無事成功して存命が1年もてばと思ってやった手術でした。
しかし手術は成功しましたが胃のガンが破れて医師から30日には父の余命は1週間と告げられました。
僕は迷いました、生きようとしてる父に死の宣告をすること・・・・あと1週間!?言わなくていいんじゃないの・・・。
でも残された時間は父のための時間です。僕は30日に父に余命の話を告げに行きました。
僕は父にもっと外科的対処や薬治療などあると思ってしらべましたがやはり・・・他の手段は無かった。
病室の父の側で泣き崩れる僕に・・・・
「お前のせいじゃない、俺の寿命だ・・・。」
父は慌てることなく、動揺することなく、最後まで父としての背中を僕に見せてくれた。
そして親族や友人とのお別れ、笑って握手してさよならしていました。
モルヒネの量も増えてやはり余命の1週間が来たときぐらいから昏睡状態に入りました。
1日1回目を開けてくれればいい感じです。父の意識が薄れていく中、夜中でしたが
母は最後父とのお別れが言えたみたいです。酸素マスクをしてしゃべることが出来ない父の横で
母が「私は父さんのお嫁さんで幸せだった」と言ったら父がポロポロ涙を流したそうです。
母はお別れができたと言って喜んでました。翌日は10日はやはり朝から一度も目を覚ましませんでした、
僕も仕事を抜けて病院へ行き父の最期を看取るために母と付き添いをしました。
呼吸が止まり・・・脈拍が急激に下がり・・・
僕は大きな声で「父さん!!」と叫びました。
父の左目から涙がポロと落ちて心臓がその瞬間止まりました。
僕が生きてる41年で父が最初で最期に流した涙でした。

「 生きる 」と思った父に余命を告げること、その辛さ、その苛酷さ・・・。
生は死の反対の考えではなく、生の中に常に存在していること・・・。
父の最期の教えは手厳しいものでした。
常にその心構えを家長として添えよ!と肝に命じました。

ねぇ~父さん僕の声は最期まで聞こえたんだね・・・。僕は父さんの死を乗り越えていきます。
僕ね父さん厳しかったけど本当に父さんの子で良かった。強さや優しさを教えてくれました。
残された母さんと今度産まれる子と6人で頑張って生きていきます。
どうか安らかに天国で見守って下さい。

ネットに父の死を書くのは自分でも疑問に思います。
ただ・・・・今の感情を忘れたくない・・・。何かに残しておきたい。
自分のブログで自分の好きなことだけを書く。
そんな気持ちで書かしてもらいました。
ここだけは自由でありたい。
父を偲ぶ気持ちで書きましたので許してください。
長い文章になりましたが読んで頂いた皆さんありがとうございました。

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